3/27  歳と角度

先日絶賛した「沈黙-silence-」の著者、遠藤周作の代表作と言えば一般的にその「沈黙」と、それから「深い河」などが真っ先に挙げられると思うが、この二作は本人が棺の中に入れてくれと生前頼んでいた事から余計に差別化されてる側面もあるはずだ。どちらかと言えば二作とも自身の信仰していた宗教色が強い人生の集大成のような作品だったため、という理由が大きい気がする。紛れもなく自身にとっての傑著であったとは思うが、そういう思想を抜きにしたとき、やはり沈黙や深い河にも勝るとも劣らぬ作品はたくさんあるわけで…そういうものの一つに僕は「父親」という作品を挙げたい。


父親 (集英社文庫)

表題にあたる「父親」、石井菊次は化粧品会社の部長職を務める56歳。けじめを何よりも重んじ築き上げてきた平穏な日々は娘が妻子ある実業家と恋に落ちたことから急変しだす。娘の不倫に父親としてどう対処すべきなのかという事を、現実には娘のいない遠藤周作が「自分に娘がいたら」と楽しんで書いたと言われる作品である。


父と娘、父と仕事という現実に有り触れた題材は十人十色の結末があるため決して深いテーマとはいえないものの、だからこそ逆に人々の心に触れるものがあると感じた。

なぜこれを今更挙げるのかと言えば、最近娘にイラっとする局面が物凄く多くなってきていてw、娘側からもそれは同様だろう。思春期といえばその一言で片付くのかもしれないが、そういった衝突のたび、事ある毎にこの「父親」という作品が僕の頭に浮かんでくるのだ。

例えば何かを頼むとき「だけ」、娘はニャンニャンと甘える素振りを見せるのだけど…ちょうど小説のこの部分を思い出す。

吊革を持ったまま、顔を斜めに向けて純子は甘えるような眼で父親をみた。そのような甘えかたをすると父親が機嫌がよくなることを彼女は子供の時から知っている。

 (いつまでも子供だ、しようがない)

彼は娘がいつまでも子供であることが嬉しかった。娘の中に成熟した女を感じるのは本能的に避けたい気持ちがある。それはたとえば娘の下着が眼にふれたり、湯あがりの姿にぶつかったりした時、思わず視線をそらす気持ちと同じだった。

 (あー、ホントわかっててやってるんだよな~こいつ(;^ω^))

とは言え、(うい奴め…w)などと馬鹿親っぷりを発揮して…

かと思えば先ほどまでのニャンニャンタイムがなんだったんだというぐらい、目的を果たせば後は用済みと言わんばかりの冷たい対応。時にそれは、想像を絶する酷い拒絶へと繋がりとても同じ人間とは思えないぐらいの豹変っぷりは見ていて空恐ろしいほどで…

そんな時はこの部分が思い出されるのだw

もう娘は彼が愛した娘ではなかった。幼い時、風呂に入れてやり、手をつないで縁日を歩き、はじめて学校に入学した日、カメラで撮った娘ではなかった。今日まで菊次が勝手にまだ「子供」だと思い込んでいた純子は、彼の知らぬ女に変わっていた。

 (一節一節が身に染みるぜw)

最近特にこの傾向が顕著で、娘が「女」というより「女性」の面を段々と出してきていて…それは色香とかそういうのじゃなく、アレだ。書くと女性蔑視だなんだ言われそうな、決して男が理解できないであろうああいう性質をちらりちらりと見せ始めている事に戦慄を覚えている。

僕はこの作品を初めて読んだのが遠藤周作にハマり始めた24ぐらいの時で、それから何年かに一度思い出したように読むのだが、現実に娘を持ってからこれを読むと今まで全く違った見方になってとても新鮮であると思ったのが結婚してすぐの事であった。

そして最近、また新鮮な気持ちでこの作品を読み直している。

思えば遠藤周作はこの作品を「想像」で書いているのだが、娘のこのような面には一切触れてはいない。それは果たして物語に必要のない事だから端折ったのか、想像では思い至らなかった部分なのか… それとも時代による変化なのか。

四月から娘は中学生。次にこの「父親」を読むときはどういう状況なのか、さらに今とは違う角度から読むことが出来るのだろうか。今から楽しみである。

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