2/20  忘却こそ娯楽の神髄

ここのところ忙しく図書館に行く暇もなく…

 (クジ引く前にヤクルト渡されたんだけどどういう事だw?)

…それはともかく、仕方がないので本棚にある作品を物色してみる。大抵二度三度と読み返した本ばかりなのだが、、ふと、出来心で禁忌に触れてしまった。

 (久々にあの独特な言い回しを見たいな)

なんでそのタイミングであったかは謎だが、ここ数年目に入るたびに気にはなっていたのだ。しかし長編は読むのに覚悟がいる。一度読んだら最後、読み終わるまで別の作品に移ることが叶わなくなってしまう(マイルールにより)。例えば今から北方謙三の水滸伝シリーズを読めと言われたら年単位の勝負になる。それは結構尻込みしてしまうような… 

なので清水の舞台から飛び降りるというと大げさだが、それなりの覚悟を持って手にしたはドストエフスキーの「罪と罰」。読むのは実に七年ぶり二度目である。

本作はカラマーゾフ家の三男、アレクセイ・ヒョードロウィチ・カラマーゾフが大義名分をもって強盗目的で老婆を殺害したまでは良かったが、それを偶然目撃してしまった人も一緒に殺してしまったんだっけ?確かそこらへんに罪の意識が芽生え、良心の呵責に耐え切れず自白するまでの心の内を描いた作品…

だと記憶しながら読んでいたのだが(大間違いです)w、

 (あれ?こんなんだっけか?)

主人公のアリョーシャ(アレクセイの愛称)がどうにも強盗殺人を犯すような人物に見えず、またそのための動機も見当たらず、どころか作中では街中の人々から慕われる修道僧の見習いですらある。

 (一体どこで老婆を殺すんだっけかな?)

やがてアリョーシャが身を寄せる修道院のゾシマ長老が、死の間際に彼を修行のためと世俗へと放り出すのだが、いよいよここで老婆の下宿にでも厄介になりそこで殺人を企てるのかと思っていたが、そもそもアリョーシャの家は…というかカラマーゾフ家はかなりの金持ちだ。物語は長男と父の相続問題から始まるぐらいぐらいである。

その問題児の兄が起こした暴行事件の被害者に援助を申し出る話など、そうそうこんなエピソードあったよな~と読み進めるのだが、

 (おかしいな、なかなか読みたい話になってこない^^;)

僕の記憶だと割と序盤で殺人が起きたような記憶があったんだが、気づけば分厚い上巻も半分を過ぎていて…

…というわけで、一週間ほど経ってようやく自分が読んでる本が「罪と罰」ではなく「カラマーゾフの兄弟」だと気付いたというお話w

もはや自らの運転技術と記憶力を一切信用しないように生きていこうと決めるには十分すぎる出来事であった(;^ω^)

付け加えるならファン感謝デーのクジのために粘るのは辞めようという事も…w

コメント

  1. ヨシホイ より:

    あれ?僕の知ってる罪と罰と話がかなり違うぞ?一体自分は何と混同していたんだ?自分は記憶力良い方だと自負してたのに・・・と思ったらww

    数年前のルンバが忘れられずファン感へ。クイーンズ40kノーヒット。
    クジまであと20分、最後の1本入れるか?回りは悪くない(良くもない)ルンバかテレビ当てればええんや!いったれ!→はいヤクルト

  2. 久しぶりにコメント より:

    カラマーゾフの兄弟ってスメルジャコフが親父殺しを次男に告白した時の「だって、あんたが神はいないって言ったじゃん、神がいないなら何をしても罰せられる事もない」ってセリフが作品のテーマだしドストエフスキーの言いたい事っすよね
    道徳のある無神論者は大いに結構だが、大概の人間は神の存在がないと秩序や倫理が保てないという

    ドストエフスキーの作品ってクソ長くて、登場人物達がお互いを渾名で呼んだりするのが面倒なんすよね

    ちなみにあまりにも有名ですが、ドストエフスキーはギャンブル依存の中毒でいつも金に困ってたらしいっすよ

    太宰も女のヒモで「働くの嫌だ」って遺書に書いて自殺したみたいだし、昔の文豪はあまり金にはならなかったんですかね

  3. umi より:

    >>ヨシホイさん
    ルンバ代が見事に回収されてますねw しかし大半はルンバでさえ当たったことがないわけで、その分夢を見ずに済むというならどちらが幸福なのかしら(;^ω^)?

    クイブレも少し前までなぜか打てる調整だったのに、P機が台頭し始めてからというもの墓場調整です。久々に右下で熱くなりたいなぁ…

    にしてもそろそろコロナ関係でホールに行くのも若干躊躇しちゃいますよん(‘A`)

    >>久しぶりさん
    ドストエフスキーの作品はセリフの一つ一つがいちいちアホみたいに長く、引用が多く、例え話やそれ以上に脇道が多く、それさえ無くせば1/4ぐらい薄く出来そうな気はしますけど、味気なくなっちゃうのかな?

    渾名や愛称の多さもたまらんですね^^;アレクセイをアリョーシャっていうぐらいならともかく、リョーシャやリョーシェンカなんて言われると一瞬「ん?誰だ?」とページを遡ったりしなければならいので辛いっすw

    ドストエフスキーのギャンブル依存は知りませんでした。そういう作品は残してくれなかったのかな(゚∀゚)?

    太宰さんだけじゃありませんけど、文豪が金にならないのではなく金遣いが常軌を逸していただけとはよく聞きますねw それが文豪の条件というわけではないのでしょうが、それぐらいしないと面白い作品を残せないという感覚はあったのかもしれません。

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