4/27  解輪の儀

いよいよ始まった長きに渡る義務教育生活はなかなか良いスタートを切れたようで、毎日楽しそうにしているデブにゃん。日毎に新しい友達が出来たよと紹介してくれる姿に父としてまずはほっと胸を撫で下ろす。

さてその新しい友達らに触発されたのか、この度ついに自転車の補助輪を外したいと申し出てきたではないか。ちなみにデブにゃんは早生まれなので先日7歳になったばかり。

一般的に7歳だと自転車の補助輪を外すタイミングとしてはまあまあ遅い部類のようだが、それもこれも近所の子らと遊ぶ習慣が無かったからではないだろうかとふと思ふ。

自転車で遊びに行くという習慣を築けなかった弊害か…

例えば兄弟、例えば近所の子。そういう子達と一緒に遊びに出る際、彼らが乗っている自転車に着いていく必要があればこそ自らも自転車に乗りたいと思う…はず。それこそが一般的な補助輪を外す動機ではないだろうか。恐らく自分はそうだったし、弟らのデビューもそんな感じだった。娘1号だってそうだった。

しかしデブにゃん… 近所に友達は住んでいないし、たまに保育園の子らと遊びに行く際も保護者同伴で大きな公園に集合したり、そうでない場合は家でホームパーティみたいな事をするので結局自転車なぞに乗る機会はない。

姉も年が離れすぎているのでそういう対象ではなし。

結局、この年になるまで自転車に乗るという習慣がほとんど無かったわけで…ほら、久々に乗ろうとした自転車は放置しすぎて両輪ともにペシャンコになっている。

さて…いよいよか

改めてデブにゃんの自転車を見ると、荷台が着いていない事に気がついた。マウンテンバイクみたいなタイプなので前後共に泥避けしかついていないのだ。通常…?僕のイメージだと補助輪を外した際はまず保護者が荷台を支えてやる姿が思い浮かぶ。

そうして、ふらつきながら走る子供が「ちゃんと持ってるー?」と聞き、それに対し「持ってるよ~」と答えながら無情にも手を離し、やがて支えがないことに気付いた子供が怒りながら転ぶ姿までがこの国における自転車教育における様式美である。

…書いてて思ったけど海外でもそうなのかな?

父親になったらやりたいことのランキングでキャッチボールを抑えてトップに入ってもおかしくないこの通過儀礼。当然僕にも相応の憧れがあって、ついに実現するときがきたと内心喜んでいた。ちなみに上の子はいつのまにか勝手に乗れるようになっていた(´;ω;`)

しかし…あの荷台を支えて並走する態勢…腰痛持ちとしては見てるだけで恐ろしい姿勢なんだよな

中腰で行動するとか死ねと言っているようなものだ。というわけで、補助具を作ることに。デブにゃんのためではなく、自分のための補助具を。

な、なんか暴走族みたいになったが…ヨシ!

これで無理な姿勢を取らずに支えられる事ができるぞい♪と、我ながら自画自賛していたのだが、検索したら普通に同じようなものが商品として売っているんだね…

まあ誰でも思いつくカタチではあるからな。

つまり正解って事やん!?

実際、使ってみるととても良い。支えるのもそうだが、まだブレーキをうまく使いこなせない自転車を制止させるための役割として公道上で非常に重宝する。

まあこれがあろうがなかろうが、最終的にやることは変わらないんだが…

運転に関しては最後に物を言うのはバランス感覚。こればっかりは支えていたら意味がないので自らの体で覚えるしかない。

見事なまでの様式美!!

こうして、地獄の特訓の日々がスタートした…と思ったら、二日目でほとんど乗りこなせるようになっておじさんびっくり。

もう少し堪能したかったが…まあヨシ!

さすが俺の子。運動神経の塊…と言いたいところであったが、聞けば4月から通い初めた学童(学校終わった後に預かってくれる保育施設)で一輪車の練習をしているらしく、そっちはもうかなり乗りこなせているらしい。

そ、そりゃあ一輪車乗れるんなら自転車なんて楽勝よな…

というかいつの間にかそんな難易度高いものに乗れるようになってたんだな。子の成長は驚くほど早い。しっかり見守っていないと俺じゃなくても見過ごしちゃうね…

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