5/9  堕落回顧禄 その4

【回顧その4】2000年夏~秋頃

目押しが可能になったという事実が行動範囲を大幅に広げた。

と言うのも、当時はまだ近くの席の人に目押しをして貰うという文化がごく普通にあった時代。それでも高校生の時分で通っている身。極力店員や常連に突っ込まれないよう、あまり目立ちたくはなかったため、この頃はまだ僕とピカ五郎を出会わせてしまった諸悪の根源であるピンズ君と一緒に打ちにいく事がほとんどだったのだが、ヤツのサポートが必要なくなったとあればいつでも好きな時に好きな店に打ちに行く事が出来るわけで…

具体的に言うと、学校帰りにそのままホールへ寄るようになったのだ^^;

ちなみに僕の生まれ育った町にはパチンコホールが一切無いため、高校からの帰り道…通学にチャリンコで1時間ほどの道中にあるいくつかのホールへと立ち寄っていたのだが、ある意味で家から遠いというのは全くのデメリットというわけでもなかったのだろう。

堂々と、悪びれることなくカバンに常に入れてあるジャージに着替えてホールへと赴くのが早上がりの日の楽しみになっていた。

自転車とバッグはさすがにホールに持ち込むわけにはいかないため、近くの茂みやコンテナの陰に隠してホールへと赴くわけだが、この何とも防犯意識の欠片もないやり方でよくぞ盗難や通報に合わなかったものだと今にして思うw

良くも悪くも色々緩かったのだ。

この時期を境にピカ五郎以外の台にも目を向けていくようになるのは必然といえば必然なのだが、なんせ見る台全てが初対面。鯉が餌に食いつくように気になった台に飛びつく…ほど資金も勇気もない。

時期で言えば大花火が出た頃らしいのだが、実を言うとこの当時打ってた台というのがあまり印象にない。部活で三年生が引退していよいよ忙しくなってきた頃でそれどころじゃなかったのだろう。それに麻雀にもお熱だったしスロットにかまける余裕があまりなかったのだ。

そんな中でもやたらと北電子のジャグラーっぽい台の事が記憶に残っている。名前はド忘れしてしまったが、調べたらこれだな…『ワンダーレビュー2』

地域によっちゃあ裏物として名を馳せていた機種らしいが、おそらく僕の行ってたホールにあったこいつはノーマルだったと思う。と言うより、まだ裏物という存在すら知らなかったのだ。もしかしたら知らずに裏物を打っていた可能性もあるが、とんでもなくハマった記憶もとんでもなく連荘した記憶もないのでやはりノーマルだったんじゃないかな。絵面のせいか何か優しい台だったような印象さえ残っているw

他に印象に残っているのは「赤光の剣(シャッコウのツルギ)」とかいうやたらとリール配列が尖った台で、

 (どこの金閣寺物語だよテメエはw)

などと、後年尖ったリール配列を見るたびにこいつの事をよく思い出したものだが、この台も裏返っているのがほとんどで、恐らく僕の行ってたホールのものも…

他に、シオサイやオアシスといった沖スロの鉄火場のシマが存在していたホールも近くにあって、あれは素人目に見ても異様だったが、それを触るのは(触れるようになるのは)もう少し先…
 
現実問題、裏物なんかを触る資金など高校生にあるわけもないのだ(;^ω^)

それでも資金が無いなりに裏物で遊ぶ術として、パチスロ漫画などではよく「モーニング」を狙ったとか書かれているが、僕の知る限り当時そんなサービスを行っていた店は近場にはなかったと思うし、そもそもそんな知識もなく…それ以前に「裏物」という存在すらまだ知らないよちよち歩きの初心者である。

ノーマルタイプを自分なりの根拠で打って、勝ったり負けたり…それでも何とかやっていけたのは果たして平均設定の高さか、それとも自分なりの立ち回りが的を外していなかったからなのか。

…ちなみに、この当時の僕の立ち回り…というか打つにあたっての基準というのは「札」であった。札と言っても設定が直接書かれているような過激なものはこの時期まだ僕の地域には無かったわけで(たぶん)、僕の見ていた札とはずばり台上の棚などにに刺されていく「祝」などと書かれた札で…「三角札」と言うのかな?検索したらそのような言葉があった。

当時のデータカウンターは、「データ」と名付けるのもおこがましいにぎやかしランプに過ぎなかった。店員を呼ぶか大当たり中にピカピカするぐらいの機能しかない店がほとんどで、BIG回数を表示してくれるカウンターは最新であったw

僕の通っていたボッタ店のカウンターは回転数はもちろん大当たり回数すらわからない旧式だったのだが…その代わり1BIG毎にこの画像の「祝」のプレートが貼られる事にあるとき気付いた。今は無き店内放送による「〇〇番台…スタートしました、おめでとうございます」などという機械音声と共に店員がシュタッ!っとプレートを指していくわけだ。

この札は五枚だか十枚だかで「爆発中」とか「大放出」みたいな豪華なプレートに差し替えられて、以後はまたその札と別に「祝」のプレートが重ねられていく。BIG13回だと大プレート1に小プレート3枚という塩梅だ。

そして、それとは別に交換枚数毎に張られる札も存在していた。1000枚流すたびに「大盤振舞!」のような、BIG回数とは別の札がつくのだ。

そうすると、時間を追う事にやたらと台上が札で賑やかな台が出てくる。パチンコの打ち止め台よろしく、学校帰りに僕はそれら賑やかな台を狙って…というほど徹底してはいなかったが、ピカ五郎など知ってる台で条件に合致する台をなるべく選んで座っていた。

 *初っ端から収支表をつけたりと、この時点の着眼点としては我ながら末恐ろしいセンスである(;^ω^)

…と自画自賛したいところだが、この立ち回りには大きな問題点が二つあったw

一つは先ほども書いたが、総回転数がわからない事。五号機世代以降には信じられないかもしれないが、データカウンターに総回転数を表示する機能がつくのはここから一年やら二年後の事w

そのため、いくらボーナス回数が多くても単純に総回転数が多いだけという事もあり、例えていうならシマで一番バケ回数のついてるジャグを選んだが、よく見たらバケ20回だけど総回転数8000回転で全然低設定域やん!!みたいな事も十分起こりえたわけだ。

ただ、BIG回数だけじゃなく交換枚数毎の札もあったので実際はもう少し信頼度が高かったはず…と言いたいところだが、あの1000枚毎に貼られる札は差枚ではなく流した合計枚数によるものなので… こちらもやはり、大判振舞札が三枚も貼られているから3000枚も流している!と喜び勇んで座ったところで、in枚数が3000枚以上だったとかいう事にもなりかねないw

決して信頼度の高い立ち回りとは言えなかったのだ^^;

加えてもう一つ問題があったのだが…

そもそも僕はこの時点でまだボーナス確率やら設定という概念をまだ理解していなかったという点w

なので、BIG回数や出玉を参考に座っていたわけではなく、単にたくさん当たっている台はいい台だろうという思い込みでこの行動をしていたに過ぎない。

が、しないよりはいくらかマシだったのだろう。なんだかんだと遊べていたいい時代なのである。

コメント

  1. 武器屋なのに無職 より:

    初打ち前に裏設定まで教えられた私は恵まれ過ぎだったのかも。

    気付いてなかっただけで、うみさんが打ってたの裏モノばっかりだろw
    エイトマンのビタとか老化した今では出来ないんだろうなあ……
    老化して無職はヤバいww

  2. ヨシホイ より:

    赤光の剣!懐かしいwそのリール配列覚えてますわ触った記憶はないけれど
    そうそう、ボーナス回数を表示するカウンター少なかったですよね
    僕の周りには収支なぞ付けている人間はいなかったし僕も全くそんな事思っていなかったけどなぜかよく遊べた気がします決して勝ってはいなかったと思いますが

  3. umi より:

    >>武器屋さん
    初打ちじゃ裏設定なんて聞いたって理解できるわけないからノーカンですw
    さすがにワンダーレビューは裏じゃなかったと思うんだけど、実は打ってたピカ五郎がいつのまにか裏になってたのでは⁉というエピソードがこれから出てきますw 

    エイトマンはなんか筐体見た事あるような気がするけど触ったことはないなぁ。一人旅で記事見たときには既に無くなってたけど、どうせ当時はあんなビタ出来なかったろうなぁ 今も無理w老兵は去るのみ!

    >>ヨシホイさん
    遊べたって体感は案外負けてたりするもんですよねw 僕も日記では遊べてたなんて書いてますけど、その頃の収支表見るとやっぱ負けてますもんw

  4. kenji より:

    等価じゃないお店の方が設定使ってると思いこみ7.6枚交換のぼった店に行ってたの思い出したw

    最初はみんなやらかすよね

  5. umi より:

    結果はともかく、初心者でその発想が出る時点で相当すごいと思うけどな~
    うちは等価主体地域だったから低換金店が無条件で損だと思い込んでたぜw

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