【回顧その6】2000年冬 →前回
高校からの帰り道にある駅前のクソボッタ店でイカチェックをしていたような記憶が朧気にあるのだが、この頃出た新台の思い出がほとんどないのでそちらは触っちゃいなかったのだろう。時期的にはドン2やキャッツアイ辺りがホールを賑わしていた頃らしいが、まだそのような台を触れる知識も腕も無かったので相変わらず完全告知のシマに住んでいたはず。
そもそもATやらARやらのシステムはまだ僕には早すぎたのだ。イカチェックによって0枚役というものの存在を初めて知った頃…ようやくリーチ目の概念やらリプレイ外しの意味等、少しずつパチスロに対する知識も増えてきた頃である。
そんなド素人を尻目に、この頃後にパチスロ史に刻まれる事となった革命的な機種が導入されていた。ご存じ、爆裂AT機時代の幕開けとなるキングオブAT機“獣王”の登場である。
この当時のパチスロ漫画などを見ると、獣王のシマは鉄火場だったという事だったが、やはり僕にその記憶は何も残っちゃいない。僕が獣王に触れたきっかけは何だったろう?それすらももう覚えちゃいないが、確か隣にピンズがいた記憶あったので彼に誘われての事だったろう。
第一停止でガオー‼とドット内でライオンが吠えルーレットに発展する演出が好きだった。それと同時にリール上には一確目が止まり効果音と共にフラッシュが瞬き…
僕が獣王で覚えている印象的なシーンだ。実は僕は初代獣王をAT機と知らずに(というよりATが何なのかわかってなかった)打っていて、ビッグを引いたり引かなかったりでちょびちょび触っていただけだった。
まぐれですら一度もATを引いたことが無いのだ。というより、それほど打ち込んでおらず…後に、ピンズ君が僕に天井間近の台を拾ってくれるまでサバンナチャンスというものを体感する事がなかった。
まあ高校生の打てる台ではないので腰の引けた勝負になるのはどうしても仕方のない事なんだろうけど、だから天井AT単発の思い出しか初代獣王には無い。おかげで中毒になる事もなかったからそれで良かったのだろう。
設定6など夢のまた夢。そもそも僕らの地域に獣王の6を置くような店があったのだろうか?漫画で描かれているような鉄火場という印象が実はあまりない。
ただ、有名な朝一の高確ランプチェックの光景(リール上にフラッシュが走るが見づらいので独特のポーズになってしまう)は見覚えがあるのだが、果たしてこれはいつの記憶か…
「あれ?うみじゃん。へー、パチスロやるんだ」
「お…おお!」
逆ハサミも知らずにガメラの演出に一喜一憂していた僕に地元の同級生のF君、通称ハンペンが話しかけてきたのはそんな時だった。
中学校時代、微妙に不良グループに属していたが影が薄くひょろガリだったことからハンペンという不名誉な(?)あだ名で呼ばれていた男。特段仲が良い友人というわけではなかったが、なんせこんな場所だ、知った顔というだけで不思議な仲間意識が芽生えてしまう。お互いや共通の友人達の近況報告などをしつつ思いのほか話が弾み、そして忘れちゃならないここはパチンコホール。
「しゃーねーな、特別にうみにいい事教えてやるよ」
そう、ハンペンも高校生という身分でこのとき既に一人でパチンコ屋に出入りするぐらいなのだ。余裕のある態度から、僕より遥かに場慣れしている感はあったが…さて、
「いい事?」
「うみは玉の方はやった事あんの?」
「玉ってパチンコ?無いなぁ」
「実はさ…」
ハンペンに連れられパチンコのシマへと足を踏み入れる。なぜだかパチンココーナーの方は入りづらい雰囲気があって極力見ないようにしていたのだが、そういう意味では初めてこのときしっかりとパチンコ台と目を合わせた気がする。
(これが噂の海物語か)
奇しくも、いや、当時のホールの勢力図からすれば当然なのだが、そこには僕と同じ名前を冠した台がずらーっと何列にも渡り置かれていた。シマの配置図を見てその存在こそ知ってはいたが、改めて見ると老若男女がこぞってこの青い筐体の前に戯れている姿は何やら異様ですらあった。
客付きは8割ぐらいといったところだろうか。平日の19時過ぎとは言えスロットコーナーの客付きからすれば異常な数だ。
「この台さ、攻略法があってさ…」
その異常に拍車をかけるような事を謳うハンペン。台横には谷村先生の海物語リーチ目表小冊子が常備されているような時代の話だが、そもそもオカルトも攻略法も当時の僕に見抜く術はない。ただ、当時の僕らはゲームなどの裏技や隠しコマンドが当たり前という…大技林を見て育った世代である。
攻略法という単語にそれほど違和感は覚えなかった。というより、あって当然という感覚が僕ら大技林世代にはあるのだ。
「まず球を出さずに右にハンドルを捻って三十回打ち出して…」
「……ゴクリ‼」
今の今まで忘れちゃいたが、考えてみるとこれが僕の初めてハンドルを握った瞬間であるwもちろん大当たりなどするはずもなく、この後かなり先まで記念すべき初当たりは訪れないのだが…だからこそ忘れてた。そうだ、これが僕のパチンコ初体験なのだな(汗
もしここで奇跡的にハンペンの「攻略法」が上手い事発動してしまっていたら、以後の僕のパチンコ人生は大きく軌道変更したに違いないが、結果はお察しの通り。
バツが悪かったのか用事があったのか、言うだけ言うとハンペンはそそくさとブサイクな彼女と共に帰ってしまった。…そう、かなりかわいくない彼女連れだったんだなヤツは。やはり同じ中学校の同級生だった彼女の存在もあってか、この似非攻略法の可否についてはウヤムヤなままこの日は解散したような記憶がある。
(あれは何だったんだろう)
一体ハンペンはこの話をどこから持ってきて、どれぐらいの確度で僕に話してきたのかは今となってはわからない。この後なかなか会う機会もないまま、ほとんどここらのホールで見かけなくなり次に会ったのは数年後だっけかな?もはや当人すらこの話を覚えちゃいないかもしれない。
初心者相手にマウントを取りたかっただけなのかなと何と無しに思ってしまうが、意外な事に当時はこの手の話がゴロゴロしていてそこまで珍しいものでもなかった。その証拠に、以後もこの手の攻略話は何度も入ってくる事となるが、まだネットがほとんど普及していなかった頃だからこそ起こりえた噂話のようなものだったのだろう。
ごく稀に本物が含まれてたりするから恐ろしいのだがw
コメント
私達より前の世代は攻略法が当たり前にありましたけど、詐欺も横行してましたね。
世代で有名なのはコピー打法、ソレノイド(ゴト)、信長つまらせ、電気ショック(ゴト)、BIG変換、モーニングセット(超ゴト)、改竄BIG(怪童)
位かなぁ知ってるのは。
じゃんたまはレベルが下の方はやはり初心者とかも混じるから弱いですね。
まぁ日本屈指のピントンとは比べられないですね
その極稀の中でも唯一一瞬だけ触れたのがコピー打法でした皆が皆レバーの下にタバコのフィルター挟んでたのは異様でしたね直ぐに島閉鎖になったなぁ
大技林wwww懐かしすぎるwwwあの分厚い本を興奮しながら夜な夜な読みふけったものです載ってるゲームほとんど持ってないのにwww
雀魂に課金とは流石kenji先生です課金してもアバターが変わるくらい?だったはず毎回山牌コードの記載あるし牌譜サービスは無い(はず)です
>>kenjiさん
ゴト系なら吉宗とかが一番思い当たるけど、ガチの攻略系ネタとなるとやっぱアゴ外しなのかな。正攻法的なのはエキサイトラッシュとかファフナー、アラジン、湘爆などやっぱり役物系に集中するね。
他は島唄のビタ変換、ゴールドXの変則押しとかはリアルタイムの記憶にあるなぁ。当時ネットが発達してたら逆にここまで広がってなかったんでしょうかね(対策的に)?
古き良き時代のお祭りでしたね。
>>ヨシホイさん
おー、コピー打法試せたんですか?僕はそのころ高校生だったし全然わからなかったなー。プーだったら何らかの祭りに参加出来たのかな、でもそのまま味を占めて軍団入りとかしてたかもしれないし…(;^ω^)
大技林はゲーム持ってなくても裏技のやり方見てるだけで面白かったですよね。こんなの本当にあるのかよ!?とか。今だとユーチューバーがやってみた!したら受けそうなんだけど、ネットが発達しすぎて大技林の出番が無さそうなのが悲しいな…